第 42 回

 前回の続きです。メキシコにユカタン半島という場所があります。その半島の付け根のところに、メリダという小さな町があって、マヤ文明の遺跡をたどる人たちにとってはおなじみの町です(町というより村に近いかも)。私もずっとマヤ文明の跡をめぐっていたので、ある時メリダに滞在しました。
 小さなホテルに着くと、すぐに一人のメキシコ人の老人が訪ねてきました。知人など一人もいないはずなのに、私を名指しで来られたのでびっくりです。よく聞いてみると、彼はその町の名士で『マエストロ』と呼ばれていて、街中に〝おふれ〟を出しているそうです。「日本人が来たら、すぐに自分に知らせるように」ホテルの人が私がチェックインすると、すぐにマエストロに知らせたということです。「日本人の○○が来た」(町にホテルは一軒だけ)杖をついたその老人は、歩くのもつらそうなのに、私を家に招待したいと言いました。南国の樹木に囲まれて、ひっそりとその家はありました。鍵もないドア。木とヤシの葉で作られた居心地の良さそうな古い家でした。けれど、私を本当に驚かせ、感動させたのは、その家に一歩入った時でした。正面に「昭和天皇」のお写真が飾られ、広重の絵が壁一面に貼られていました。『山本山』ののりの缶には、いろいろな形の貝殻が。色あせてはいるけれど、京都の老舗の和菓子屋の箱とわかるそれには、折り鶴が大切そうにしまわれていました。ここはどこだっけ??ここは日本以上に日本がありました。マエストロとの会話で分かったこと。彼は、野口英世が黄熱病の研究でメキシコに滞在した時の、最後のお弟子さんだというのです。だから、〝マエストロ(博士)〟なんだ…。それ以来、日本に憧れ、夢にまで見たそうです。彼にとって日本という国は神聖化され、それこそ死ぬまでに一度は行ってみたい…と心から思っていたそうです。それから何年もたって、彼に思いがけない手紙が届きました。日本の天皇から勲章を頂ける…というものでした。そういえば、新聞で読んだことがあります。日本にとって、多大な貢献をした外国人に勲章を授与するとか、なんとか…(日頃はあまり自分に関係がないことなので、気にかけたことがありませんでしたが)。そして、日本への招待が実現され、マエストロは憧れの地を踏んだのです。夢が叶いました。その時頂いた勲章を見せてもらいましたが、私にとっても、天皇陛下自ら下さったものを手に取るなど、一生に一度のことだったと思います。マエストロは揺り椅子に腰掛け、ゆらゆらと揺れながら言いました。「日本は素晴らしい。桜も素晴らしい。日本人も素晴らしい。夢に見た日本は本当に美しい国だった」そして、「サクラ、サクラ…」と歌を口ずさみながら、いつしか眠ってしまいました。私は彼を起こさないように静かに家を出ました。石畳の急な坂道を歩きながら、なんだか涙が止まりませんでした。なぜあの時、あんなに泣けたのか…。今でもはっきりとしません。30年以上も前の出来事です。マエストロはもうこの世にはおられないでしょう。けれどあの時、地球の裏側の日本という小さな国を、これ程愛してくれている老人がいることに、私はきっと素直に感動したのだと思います。私のつたないスペイン語では、より深い彼の心の内は分かりませんでした。けれど、「夢は思い続ければ夢でなくなる。思い続ければきっと叶うもの」だと言った彼の言葉を時々思い出します。
 日本に帰ってから、私は『野口英世記念館』を訪ねました。たしかに、野口英世はメキシコで黄熱病の研究をしていました。その頃の貴重な写真が一枚ありました。白黒のその写真はセピア色に変色しながらも、たしかに何人かのメキシコ人と共に、野口英世がメキシコに存在していたことを教えてくれました。その何人かのメキシコ人の中にマエストロがいたのだと私は確信しました。まだ若い、少年のようなマエストロが、直立不動で野口英世の後ろに立っていました。ああ!なんという感動…。なんという出逢い…。
 私の昔話を長々と聞いて下さってありがとうございました。私も年をとったということでしょうか…。時々、はるか昔のことを思い出します。よく言うでしょう?ボケ始めた老人に向かって、若い嫁が「昨日の事は忘れてしまうのに、大昔のことは覚えている」と…。アラ、いやだ。私はまだボケていませんよ!!たぶん…ですけど。  (はっとり)

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