第 45 回

 メキシコから国境を越えてグァテマラへ。小さな村に入りました。「村」と言えば、どんな所を思い浮かべますか? 村の中央に水場があって、女性たちが頭の上へカメを乗っけて水汲みに集まってきます。なんだか映画を見ているような不思議な感覚。外国人を初めて見るという人たちに、あっという間に囲まれてしまいました。私のカタコトのスペイン語で会話しましたが、きっと10%も理解されていなかったと思います。それでも、みんなとても歓迎してくれていることは分かりました。しばらく話していて(この場合、お茶とかお菓子はいっさい期待できません。そんなものは初めから存在しないのです!)トイレに行きたくて「ドンデ エスタ エル バーニョ?(トイレどこ?)」と聞くと、「バーニョ?」「バーニョ?」なんだかみんな口々に「トイレ?」「トイレ?」と騒いでいます。そのうち、一人のおじさんが大きくうなずき、私を手招きしました。彼の後をついて家の裏に行くと彼は言いました。「このあたりがうちのトイレ」そして、棒を一本私に渡してにっこり笑うと、スタスタと行ってしまうのです。「このあたりって…」ただの野原。原っぱ。良く言えば庭。そして、この棒は何? 私もその頃は、少々のことでは驚かないカントリーガールになっていましたから、とりあえず挑戦。分かりました! この棒の使い方。用を足している間にワラワラと寄ってくるニワトリやロバ(?)や、その他モロモロの生き物を「あっちに行け!」と蹴散らすための(お尻をつつかれないための)大切な道具だったのです。ついこの間まで、東京タワーのてっぺんでバイトして、六本木で食事して、渋谷でショッピングする、私は一応シティーガールだったわけで、それが棒一本を振り回しながら青空の下で「このあたりが私のトイレ!」なんて…。凄すぎる…。しかし、トイレというのは限られた空間だから落ち着けるのであって、「どこでもどうぞ」と言われると、まァ、その…。やりにくいです。
 そして、夜は村中の人たちが集まって大騒ぎ。裸電球が一つぶら下がっている土間で、何だかわからないお酒を飲み、踊り、笑い、叫び、そのまま藁を敷いてもらってゴロ寝です。その時は、途中で知り合ったドイツ人の夫婦とフランス人の教師が一緒だったので、私もいつもよりリラックスして楽しかったです。(一人旅というのは常に気を張って身構えているところがあり、『自分の身は自分で守る』が鉄則です。だから疲れます)
 その次の日、村の人たちが私達の歓迎の食事会をやってくれました。そこに、トリの丸焼きが出て、昨日、私が棒を振り回して追っ払ったトリさんが、変わり果てた姿で横たわっておりました。合掌…。おいしく頂いて次の町へ出発。けれど、そのトリさんに思いきり仕返しされることになってしまいました。鶏肉はつぶしてから何時間かおかないと、菌が死なないとか。その菌はどんなに高温で調理してもダメなのだそうです。サルモネラ菌かボツリヌス菌か、はたまたピロリ菌か。よく分かりませんでしたが、とにかくものすごく強力な食中毒に復讐されてしまったのです。新鮮すぎた鶏肉…。あー、思い出しただけでもつらい! 体中の水分がすべて体外へ出てしまう。一晩中床を転げまわりながら苦しみました。トイレに行く時間が待てなくて、マットレスをトイレに持込み、そのうちパンツをおろす(ごめんなさい、下品な話で…。でも本当につらい思い出なのです)時間がなくて、腰にバスタオルを巻きつけ、トイレの床に転がっていました。体はガタガタ震え続け、あんなに肉体的に苦しい思いをしたことはありません。今だったらすぐに入院でしょうが、病院もなく医者もいないあの時、私は「ゲロまみれで死ぬなんていやだ!!」と心から叫んでいました。年に二~三人はこの菌で死ぬとアメリカ人の旅行者から聞き、私は本当に死ぬんじゃないか…と怯えていました。死ぬにしても「死に方」というものがあるじゃないか。一晩中転げ回り、うめきながら吐いては下痢を繰り返しながら、私は頭の中で飛行機に乗っている自分を想い浮かべていました。「日本へ帰ろう。母のもとへ帰ろう」そんなことをずっと考えていたように思います。情けない…。
 一週間位そんな繰り返しで、八キロ位痩せた私は、元気になると、また旅を始めました。なんと懲りない女です、私。でもでも、それから一年くらいは鶏肉が食べられませんでした。こんな私がとりあえず元気で、今まで生きて、そしてここバンコクで暮らしている。 ♪人生ってェ~ 不思議なものですねェ~♪ (by 美空ひばり)  (はっとり)

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