第 6 回

 「今年の10大ニュース」と、毎年年末になると新聞に出ます。今年は三月にして,もう第一位が決まってしまったようです。地震、津波、原発…どれ程被害が広がるのでしょう。こんな時、何もできずにじっと待つということが悔しくて、眠れない夜を過ごした方がたくさんおられたことと思います。
  〝ツナミ〟 という言葉は、先のプーケットの津波でタイ人の方たちにも有名になったからか、〝日本は大変ですね! ツナミ…〟と何人もの人から声を掛けられました。 タイ人の優しさはこんな時、はっきりとわかります。涙を浮かべながら新聞を見せて〝日本は大丈夫?〟と聞いてくれたガードマンさん。お客様のタイ人の方々も、口々にお悔やみを言ってくれました。募金活動にいち早く参加してくれた若い人たち、皆さんありがとう。日本人の一人として心からお礼を申し上げます。
 こんな時思い出すことがあります。一人の友人が神戸にいます。学生時代に日本中を放浪していた彼が、たまたま東京の渋谷で、道に迷って声を掛けてきたのがきっかけで知り合いました。今時の若い人たちは知らないでしょうか。当時は道端に座って、針金で色々なアクセサリーを作って売っている若者がたくさんいた時代です。大学生の彼もそうやって日本中を旅していました。それから10年間、彼が東京に来る時はお茶してあれこれ話し合う親友になりました。彼が結婚した時は、神戸まで飛んで行き、友人代表でスピーチも頼まれました。でも私がタイに来るときに住所録を失くしてしまい、それ以来連絡が取れずにいました。
 あれから10年、そして阪神大震災。新聞もテレビも、それこそあらゆる情報をかき集めても、彼のことはわかりませんでした。ただ、生きていてほしいと祈ったものです。そしてある日、ソイ39の博多で食事をしていて、

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 ふと手に取った週刊誌に彼を見つけました。その記事は、阪神大震災で人生を変えた人の特集でした。彼は若い人たちを集めて組織を作り、Tシャツをデザインして販売し、沢山の震災孤児の救援を始めたそうです。キムタクがテレビドラマの中で着てくれたとかで、人気に火がついたと書いてありました。私は早速、彼に連絡を取りました。彼から手紙が来て事情がわかりました。手紙にはこんなことが書かれていました。「水を求めて、食べ物を探して走り回った。でも落ち着いて考えると、ともかく家族は無事で今すぐどうこうということは無い。それなのに、少しでも多くを確保したかった。本当に必要としている人がたくさんいるのに、自分は何をしているんだろうと思った。こんな時、人は生きざまを問われるんだろうな。とにかく家族全員無事に生き延びた事に感謝。だから、これからは自分が持っている力を、少しでも他人のために使ってみようと思う。」そんなことが書かれていました。
 あれからまた10年。そして今、あの悪夢が再び日本を襲っています。新聞を見るたびに、彼のことを思い出します。元気でやっているだろうか。あの時の傷は癒えただろうか。今、また走り回って支援の輪を広げているだろうか。ある新聞にこんなことが書かれていました。『人はひとりでは生きられない。だから傷ついた時は甘えてもいい。そして元気な時は他人に優しさをあげよう!』
 この年になってもいろいろと学ぶことが、たくさんあります。あー、たいへんだ!頭はどんどん退化していくのに。体力はどんどんなくなっていくのに…。でも!もうひと頑張り。みんなは一人のために。一人はみんなのために。何かできることがあるはずだ。
 そんなことを思う、今日この頃です。