第 9 回

 以前うちの店の前に、大きな木がありました。いわゆる『御神木』という有り難い木だそうで、遠くからお供えを持ってわざわざ拝みに来るタイの人たちがたくさんいました。タイでは、古い大きな木を大切にします。信仰の対象として。新しいビルを建てる時にも、古い木はそのまま残すことがよくあります。けれど、うちの店の前の木は大きくなりすぎて、枝がじゃまして見通しが悪くなり、交通の際、危険になりました。『御神木』ですから誰も切りたがらないという事で、田舎から専門家(?)を呼び、マンションのオーナーが「切る」とは言わず、「枝を落としてきれいにする」と表現していました。確かに根は残し、幹の周りを鉄柵で囲み、その存在はさびしいながらも無になった訳ではありません。でも私は長い年月、その木の葉のみどりや落ち葉や、香りを発する実などで確実にタイの四季を感じていました。それがなくなってしまい、ちょっと寂しい思いをしています。
 うちの従業員は夜、店が終わるといっせいに帰っていきますが、その時、その木に向かって丁寧にワイをして行く子がいます。昔はみんなしていたような気がしますが、その数は年々減っています。これも時の流れで仕方のない事でしょうが、私はこのワイが大好きです。「1日無事に終わりました。ありがとうございました。」と心の中でつぶやく姿が大好きです。時には「宝くじが当たりますように…。」なんて祈っているかもしれません。

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 私は特定の宗教を持ちませんが、それでも「人はいつも大きな何かによって生かされている。」と感じることがあります。その『何か』に対する感謝や、時には恐れを忘れてはいけないと思っています。だからでしょうか、タイの人たちが無意識にさりげなくするワイに心引かれる事があります。昔、日本の先祖たちも、畑仕事の帰りに無心に道端のお地蔵さまに両手を合わせたのだろうと想像するのです。
 ただし、このワイで一度心臓が止まるかと思った事がありました。昔、そごうデパートがあった頃、タクシーであの前の道を通り過ぎた時です。ご存知でしょうか、タイの人たちの間では有名なお寺が、あの角にあります。お願いする人、お願いが叶ってお礼に来る人、たくさんの人たちでいつも賑わっています。その前をタクシーが、かなりのスピードで通り過ぎた瞬間、運転手さんがハンドルから両手を離して、そちらの方向に向かってワイをしたのです。横にバイクがぴったりとくっついているのに気付かずに。そしてそのバイクが前に出てきて…。私はギャーっと叫んでしまいました。私の座っている席の窓の下に、バイクの男の子が転がっていて、頭から血を流していました。怖かったです、ホント…。いくら神様でも運転中はご挨拶しなくても許してくれるでしょうに。タイの人たちにとって、ワイは日常と切り離せない大切な習慣だという事が良く分かりました。ワイは、年下から年長者へ。合わせた両手の位置に意味があること。いろいろ学びました。
みなさん、タイの人たちからワイをされることがあると思いますが、その時は必ずワイを返しましょう。
 今日も仕事が終わって、うちの子たちはそれぞれに帰って行きます。暗がりの中に幹だけになった御神木がひっそりと立っていて、何人かの子はそっとその木に向かって、ワイをしてから帰って行きます。下着のパンツが見えそうなくらいジーンズをズリ下げてはき、今風に髪をツンツンと立てた男の子が、そっと両手を合わせている姿がほほえましいです。そんな時、私はタイという国に住んでいることを実感して、そしてタイが好きだなぁ…と思うのです。

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