15年前のある思い出

 15年位前のことです。仕事で付き合いのあったローカルのガラス工場で働いていたという薄い御縁でしたが、Aさんという80代の日本人男性の知人がいました。Aさんはタイ語も英語もダメなので年に1回ビザを延長する際に私のところに来て、ちょっとしたアドバイス等のお話をするくらいの手助けしか出来なかったのですが、大声をあげたりするような方ではなく、物静かで穏やかな方でした。80歳を過ぎた頃からお体は弱っていましたが『第二の人生はタイで』というAさんは、ずっとガラス関係の職人一筋でやってこられて、奥様を早く亡くされましたが、男手ひとつで娘さんを育てられた苦労人でした。また、信仰を持っておられた為、己を律して生きることに強い意志を持ち続けることの出来る男性でした。
 そんなAさんがある日おかしくなってしまいました。私が外出から帰ると店の前にパトカーが停まっていて、Aさんがタクシーの中から引きずり出されようとしていたのです。お金が無くてタクシー代金を払えず、私も不在だったので誰にも言葉が通じない状況なので、タクシー運転手が怒って警察を呼んでしまい大騒ぎになっている所に私が帰って来たというわけでした。とりあえず頭を下げ、支払いをしてその場を治めてAさんから詳しく事情を聞いて驚きました!!Aさんは若いタイ人女性と暮らしていたそうなのですが、その女性に全財産を持ち逃げされたというのです。1週間前、Aさんは倒れて意識を失い、病院で目覚め部屋に帰ってみるとお金から洋服、タオルまで全て無くなっていたそうです。食べる物も買えず、とりあえずタクシーを拾って「スクムビットのHATTORI」と言い続け、やっとの思いでうちの前まで辿り着いた…と。そしてAさんは「お金を貸して欲しい」と言いました。私はつい声を荒げてAさんを叱りつけてしまいました。Aさんは言うのです。今回は失敗したが、まだ3人程心当たりがある。今度は間違えないように服部さんにその若いタイ人女性を面接してもらいたいと。80歳も過ぎているのに30代の女性と結婚したいとAさんは言うのです。いつ発作が起きるかわからず、今度倒れたらおしまいだと医者に言われたというのに、Aさんは私に頭を下げるのです。どうしてしまったのでしょう…。あの真面目過ぎる程、真面目だったAさん…。幸い日本にいる娘さんが迎えに来てAさんは帰国しました。(まぁ、半強制的ではありましたが)
 今、世間を騒がせている79歳の日本人男性殺人事件のことを聞く度にAさんを思い出します。あれから15年ですからご存命だとしても100歳近いはずです。Aさんは一時の夢を見て幸せだったのでしょうか?例え束の間だったとしても、あの時間はAさんにとって必要なものだったのでしょうか…コツコツと積み上げてきたAさんの長い人生と引換えにしても惜しくない程のどんな魅力がその女性にあったのでしょうか…。本人でなければわからない、いろいろな心の問題があったのだと想像するしかないのですが、それにしても「お父さんのような男性と結婚したい」と幼い頃から言っていたという娘さんの心情を想うと心が痛みます。「お借りしたお金ありがとうございました」と丁寧なお手紙を添えて返金してくださったお嬢さんはしっかりした方だと思いました。誰にも迷惑をかけずに老いることは難しい。どんなに年を重ねても道に迷うことはあるのだとつくづく感じられた事件でした。

(はっとり)

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