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瀬戸正夫 タイに生きて八十年

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日本から拒否された国籍 写真人生 六十余年

 今月から「一枚の写真」の連載をスタートして頂いた「瀬戸正夫」さん。在タイが長い日本人では知らない人はなく、上下とも黒で統一した装いにカメラを提げた姿をBTSでも見かけた方が多いかもしれません。現在はフリーのカメラマン、ジャーナリストであり、朝日新聞アジア総局顧問の肩書を持つ瀬戸正夫さんについて少しご紹介させていただきます。
 昭和六年、プーケットにて日本人医師の父とタイ人の母の間に生まれた瀬戸正夫さん。幼い頃に父親に引き取られ、父と義母と共にソンクラーで過ごした。昭和十四年春、8歳となっていた瀬戸さんは「盤国日本尋常小学校」で日本人としての教育を受けるため、南タイのソンクラーから、義母と汽車に乗りバンコクに向い、スリウォン通りにあった日本人が経営していたメナムホテルに預けられ、両親から離れ下宿のような生活をしながら小学校に通っていた。預けられていたメナムホテルは、商用で来タイする日本人相手のホテルで、隣には日本人相手の売春宿であるタカラ亭があった。まだ小さかった為、そのようなこととは知らずに垣根を越えてよく遊びに行っていたという。
 終戦を迎えた昭和二十年、日本人は皆、バンブァトンの収容所へ入れられ、瀬戸さんも同様にキャンプ生活を送った。父親は戦犯で一時、刑務所に入れられるも、住民の歎願で出るとこが出来たが、義母と瀬戸さんを置いて一人で日本へ帰ってしまった。キャンプ生活は食糧や日用品は配給されていたので金銭面での苦労はなかったが、キャンプを出てからは生活力の無い義母の分まで稼がねばならず、まだ15歳だった瀬戸さんは、タバコ巻きのアルバイトや、金魚売りなど生きていくためには何でもやった。日本人学校に通い、日本人としての教育を受けたにも拘らず、戦後日本に帰らなかった瀬戸さん。日本へ帰りたくても帰りようがなかったのだ…。
 昭和二十七年頃に、バンコクに出来た日本大使館から「日本人は書類を持って出頭して下さい」と日本人会を通して通知が届いた。大使館では戸籍抄本を持参するように言われ取り寄せたが、そこに瀬戸さんの名前は入っていなかった。日本国籍はもらえず、日本政府の役人は「戸籍謄本に名前がないから」と言うだけで、それ以上はどうしようもなかったし、何もしてもらえなかった。かといって、タイ国籍をもらえるわけでもなく、瀬戸さんは30歳まで無国籍で、自分の帰属が分からず苦しんだ。まだ見ぬ生みの母を新聞広告を使い、どうにか探し出し、国籍の問題を解決すべくバンコクの裁判所へ向かった。多くの時間とお金を費やし、やっとの思いでタイ国籍を手に入れタイ人となったのだが、「精神的には日本の教育を受けたので、やはり自分は日本人なのかもしれない」と瀬戸さんは語る。
 17歳から自分の好きな写真を撮り始めたということで、振り返るともう60年以上写真を撮り続けていることになる。写真は独学でマスターし、カメラマン・ジャーナリストとして数々のスクープを発表した。 また、 アジア子ども文化祭を当初から撮影し続けており、取材活動を通して教育の機会に恵まれない子ども達を支援し続けている。日本人会のイベントや日本人納骨堂の慰霊祭など数多くの催しで写真を撮っているが、これらは全てボランティアでの活動である。「子供が好きなのでこれからも子供の写真をたくさん撮りたい」と言う瀬戸さん。
80歳になった今も、一眼レフを肩から提げ、タイの街を元気に歩いている。