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マヤ歴 2012年に地球は滅ぶ?

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古代マヤ文明の予言を検証 太陽系に非常事態

 「新年早々、縁起でもないことを…」とお叱りを受けるかもしれないが、始まったばかりの2012年、今年の12月22日に世界は滅亡するという『マヤの終末予言』が巷を騒がせている。これはかつて、中米圏で文明を築いていたマヤ族の未来暦が2012年を持って突然、途切れていることに端を発している。
 これまで、2012年が近づくにつれて、スマトラや中国・四川省の大地震、ミャンマーの大型サイクロン、日本の東北大震災など大型災害が続発するにつれて、マヤの終末予言への信憑性と地球の危機感がいよいよ高まっている感がある。実際のところはどうなのだろうか、我々人類は来年を何事もなく迎えられるのだろうか。
 中米のメキシコやグアテマラ、ホンジュラスなどに展開していたマヤ人は、3世紀にはピラミッドや球戯場、裁判所等の公共施設を造り、高度な文明を展開していたが、8世紀を過ぎた頃に突然、都市ごと原因不明のまま放棄され、15世紀にスペイン人が侵入した時点では、マヤ文明そのものが形を留めていなかった。しかし、マヤ人が滅んだ訳ではなく、かつてのマヤ文化圏に純血のマヤ人が現在、6万人ほど散らばって住んでいる。スペインによる侵略までは鉄も車輪も知らず、石器を用いた農耕生活で、豆やトウモロコシを育てていたマヤ人だが、ある一点のみ、当時の世界で最先端の文化を持っていた。それは天文学である。精密な太陽や月の運行データ、太陽系の惑星の運動周期の存在が遺跡の各所に残されているのだ。以前にも「地球年代記」で解説したが、世界の四大文明には必ず突出したテクノロジーが存在する。マヤ文明の前身といわれるオルメカ文明の遺産として有名なものに、重さ20トンもある玄武岩を縦横2mに丸彫りした巨大人頭像がある(写真)。高度に洗練された芸術品として、現代の彫刻家を心底から驚かせるこの「オルメカの石像」だが、不思議なのはこの製造クオリティに到達するまでの発達段階を示すものが一切見当たらない。この石像が造られるようになるまでの稚拙な作例が全く存在しないばかりか、この石像をどうやって造ったのかも、現在において全く謎のままなのである。
 現代天文学や先端工学に匹敵するほどの高度なテクノロジーを有したマヤ文明が残した「終末予言」とは何か、その根拠を探ってみよう。 マヤ文明にはいくつかの暦(カレンダー)があり、太陰暦は1ヶ月を29.5302日と定めている。今日では29.53059日なので、誤差はなんと34秒。金星の軌道周期に合わせて作られた暦では1000年間での誤差が1日未満。実に精緻な計算に基づいているかが解る。
 マヤの暦で最も知られているのが360日周期の「ハアブ暦」である。360日をトゥン、20トゥンを1カトゥン、20カトゥンをバクトゥンと呼び、13バクトゥン(187万2000日)を太陽の『大周期』として重視していた。これを年数に換算した「5125年」が重要な鍵となる。時間は過去から未来へと一方向に進むという我々の概念とは異なり、マヤ独自の時間軸では、時間は始まりも終わりもない円盤状だと考えていた。
 マヤ人が天文学や暦に異常な執着を持っていた理由はここにある。未来と過去はつながっており、過去の出来事は同じ周期をもって未来にも起こる。正確な暦があれば、未来のどの時点でどんな事が起こるかを事前に知ることができる、という解釈なのである。前述の『大周期=5125年』に基づいてマヤの予言を解読しようとしたのが、20世紀最大のマヤ学者と呼ばれるJ・トムソン(英国)である。彼は400年前の記録により、現在の大周期の始まりの日を紀元前3114年8月13日と割り出した。この日から更に、大周期=5125年後、すなわち2012年12月22日が現在の大周期の終わりの日ということになる。こうして世界の終末、運命の日が確定されてしまったのである。
 しかし、J・トムソンが解読に取り組んだ資料はあまりにも断片的なものだった。スペイン人の侵略によって、多くの文化遺産が破壊され尽くし、昔から伝わる文献も習俗も消滅し、マヤ文明の暦の正しい読み方や解釈も失われていた。彼が手にしたのは、破壊を奇跡的に免れたごく僅かな一部だったのである。また、400年前の記録といえば、スペインの軍隊に伴って来た宣教師の日記に基づいたものであり、残念ながら確度と信憑性の点で検証の材料として乏しいのである。最近になって、マヤの遺跡の深部から新発見が続々と現れている。ノアの箱舟の探査で使われた超ハイテク装置によるSARスキャンによって、閉ざされていた神殿の奥底から新たなマヤの暦が大量に見つかっている。52年を1周期とした短いサイクルの暦から、1万2240年を1周期とする長大な暦が存在したのである。実際に手にして解読する限り、マヤの暦は脈々と未来を刻んでいる。決して2012年12月22日をもって途切れてはいない。その日に地球が滅亡するという根拠はどこにも無かったのだ。

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 「誤読」が否定できなくなってしまった現在までのマヤ暦の解釈には、こんな側面もある。マヤ人の周期的な時間観念を表した円盤状の暦石は、マヤ文明の衰亡後に興ったアステカ文明に引き継がれている。いわば、マヤ文明の後継者がアステカ帝国といってもよい。アステカの暦石には、現代を5番目とする4つの時代に区分され、その中で過去の4つの時代に起こった大異変が記録されている。1番目の時代は大洪水によって破壊され、2番目は風の神によって破壊され、3番目は火によって滅ぼされ、4番目は血と火の雨の後に人々は飢え死にした、とある。そして、現在の第5番目の時代は太陽活動が1万年周期の極大期を迎える2012年に終わる、と書かれているのだ。
 太陽の活動を表すには「ガリレオの黒点11年周期」がよく使われるが、高精度のデータが得られる現在では更に驚くべき事実が明らかになった。前回の太陽の活動の極大期は2000年半ばで、これ以降は太陽の活動は衰えるはずだった。しかし、衰退することなく、2005年には巨大黒点が出現し、地球に荷電粒子の嵐を吹きつけ、観測史上最大のX級フレアを噴出し、通信機器の障害や極地以外でのオーロラを生み出した。極小期であるはずの太陽が極大期以上に激しく活動し、太陽系全体の危機ともいわれたのである。
 天文学者は2012年前後が太陽の極大期であると予想してきたが、それに反して一昨年から昨年にかけて太陽は休止期に入り、黒点も非常に数が少ない。ところが昨年10月25日に米国ミネソタ州でオーロラが現われた。日本でいえば大阪であり、こんな緯度では絶対見られないはずである。これはなぜか?マヤとアステカは実に厄介な暦を現代に残してくれたものである。 (写成麗)