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戦場のダンサー・マリコの半生

032

死にゆく兵士が囲む舞台で タイで見つけた安住の地

 日本統治下の台湾で、実業家の長女として生まれた真理子さんは、幼い頃から歌と踊りの才能を発揮していた。日本軍の後方基地であった台湾での慰問パーティーで「かもめの水兵さん」を歌う幼いアイドルは兵士たちの人気者だった。敗戦により、戦争難民となった一家は日本へ引き揚げるが、財産全てを失い、生活は貧乏のどん底。働く気力を失っていた父親に代わり、一家の大黒柱となったのは中学生の真理子さん。その自慢の歌声で数々ののど自慢大会で優勝を重ねて賞金を稼ぎ、家の生計を支えていたのである。
 高校卒業後に上京、歯科医院へ就職したものの、幼い頃からの夢であったバレエへの情熱は捨て難く、あるバレエ研究所に住み込みで弟子入りすると、みるみるその才能を伸ばしていき、2年後には有楽町の日劇に入団。たちまちトップダンサーの仲間入りとなり、日劇の看板スターの地位を動かぬものにしていった。数年後、ある実業家と結婚し家庭を築く。しかし、ダンサー稼業と主婦業を両立させることは難しい。苦渋の思いで日劇の舞台を去ることとなる。亡くなった父親が経営していた新聞社を継ぎ、社長業に奔走するが、日々の忙しさに夫とは気持ちがすれ違い、やがて離婚。経営が厳しくなった会社を支える為、昼は社長業、夜はフロアで踊り、さらには東南アジアへ出稼ぎ巡業と多忙を極める毎日。異色のダンサーとして注目され、マスコミにも度々取り上げられた。この東南アジア巡業が転機となり、真理子さんの踊りは、日本からアジアへと舞台を移していく。
 一九六六年、ベトナム戦争真っ只中のサイゴンに真理子さんはいた。ロケット弾が夜空に舞い、解放戦線の気配をすぐ身近に感じながら米軍キャンプで踊り、一方ではサイゴンの日本人ジャーナリストの溜まり場となっていたアパートで、戦場の最前線へと出ていく彼らの為に食事を作り、よき話し相手となる。そんな真理子さんは彼らのマドンナ的存在であった。『彼らが人生最後に見る女性は自分なのかもしれない』という思いが真理子さんを支えた。戦火の激化により、日本大使館から退去命令が出され、一旦日本に帰った真理子さんの元には、親しかったジャーナリストたちの悲報が相次ぐ。悲しみに暮れる暇もなく戦乱のベトナムに再び戻り、一九七五年のテト攻勢を舞台化粧のまま迎える。サイゴンが陥落したこの日まで、明日の命も知れぬ男たちの前で真理子さんは踊り続けたのだ。ベトナムでのこの体験は、のちに上演される、元宝塚スター鳳蘭主演のミュージカル「ソング・オブ・サイゴン」や数々の書籍に描かれている。
 サイゴン陥落後、日本には自分が踊りたいステージはもう無いと悟った真理子さんは、香港を拠点に東南アジア興業を続ける。一九七八年、仕事の拠点をバンコクに移し、知人に頼まれてタニヤにあるカラオケクラブのママになった。店のオーナーが日本へ帰国し閉店したが、せっかく懇意にしてくれたお客様の為にもお店を続けたいと、タイ料理店を始める。その後、スクムビットに居酒屋「まりこ」をオープン。元ムエタイ選手のご主人と結婚するが、一九九六年に死別。波乱に富んだ真理子さんの人生は現在、トンローの小料理屋「まりこ」で小休止。従業員は使わず自分ひとりで切り盛りし、「今はとても幸せ」と来店するお客さんに微笑みかける。本紙に『愛の泥んこ道』を連載中。