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緊急リポート ミャンマーの実情

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「前途洋々」に異議あり 屋台に並ぶ工作機械の部品

 ミャンマーへの進出が熱を帯びている。以前にもミャンマーが日系企業の進出先として脚光を浴びかけた事があるが、政治的リスクにより立ち消えになった。現在は民主化によって国情が安定したかに見える為に、遅れまいと我先に進出が相次いでいるという側面も窺える。タイを拠点としていた日系の企業や事業体もミャンマーへの進出を前向きに考え、バンコクの日本語メディアにも『前途洋々のミャンマー』という見出しが躍った。しかし、本当に前途洋々と持ち上げて良いのだろうか。これまで中国に依存してきたミャンマーが、中国への敵愾心を剥き出しにしたアメリカとの国交正常化を実現すれば中国共産党が制裁行動に移る事態は想定しなくてよいのか、中国とアメリカを両天秤にかけた博打性の高い国策にリスクはないのか、それを踏まえずに「前途洋々」と言い切る安易な論調には疑問を覚える。メディアの発言は思いつきであってはならないし、国際感覚の欠如による無責任な文言は被害者を生むのである。
 では、今日のミャンマーの実情はどうなのか。進出した日系企業の駐在員からレポートが届いたので紹介してみよう。政治的な事は抜きにして、彼自身の目線で見たままの現地の様子である。
 【ミャンマーの実情とは…】
 ミャンマーに住んでまず感じたのは、とにかく何もかもが未成熟。終戦直後の日本の状況と似ているかもしれない。まず、上水道の不備。バンコクでは煮沸すれば口に出来るが、ミャンマーはそうではない。蛇口から出てくる水が茶色く濁っていたりする。住宅事情といえば、バンコクでいうタウンハウスがアパートになっている。鉄格子だけの窓、部屋も手入れはなされず家具はかび臭く、壁の塗料は剥がれており、7階建てのアパートでもエレベーターがない。台湾のビンロウのようなものがミャンマー人は好きで毎日噛んでいるが、その唾液を階段の途中や建物のいたるところに吐き捨てている。
 ヤンゴンから少し離れた場所に、多くの企業が進出してくる計画があるそうだが、この地域には原住民族が住んでいそうな茅葺の家屋が軒を連ねている。そして、停電が必ずある。計画停電ならいいのだが、単に電力不足による停電で、毎晩突然止まる。軍や政府関係者の住む地区では停電は無いようだが、半年程前までは、何時から何時までという計画停電があった。これが今年初旬のデモにより何とか解消されたのだが、電線があるのに電気が通っていないのも当たり前のようだ。夜になって停電している時に、灯りがついている家がある。これはお金持ちの家だとすぐに解る。日本で工事現場やイベント会場で使っているようなディーゼル発電機を庭に置いているのだ。この状況を知らず闇雲に進出すると、工場のラインは止まるし、料理店は冷蔵庫が使えず食品保存ができない。バンコクから出てきたある料理店も困り果ててているが、出店前の調査不足の結果だとしか言いようがない。
 コンサルタント会社お勧めのティラワ経済特区ともなれば、電線があるだけで電気が通っていない地区が多い。上の写真にあるような竹と茅葺で作ったイサーン風の家屋が点在しているが、元々が湿地帯である為、高床式住居が多いのだ。もちろん高層建築には向かない。調整区域にも在るが、個人所有なら転売すればいいのだが、借地の人たちは今後どのようにするのかが心配である。電気事情に対してミャンマー政府も日本に「早く発電所を作ってくれ、韓国政府は、既に計画案を出してきている」というような姑息な政治取引を持ちかけているようだ。 次に道路状況。これはタイに似ているかもしれないが、とにかく路面がボコボコ。側溝にコンクリート製の蓋があるのだが、大半が壊れていて人が乗っただけで崩れ落ちる。アスファルトで舗装された車道もあるが、やはりボコボコ。補修作業をしているところを見たが、日本のような専用の舗装機械で敷くのではなく、炎天下のもと人力で行う。手作業なので1日数メートルしか進まない。それも、平らにして踏み固めれば終了といった感じなので、継ぎ接ぎになる。タイと同じように、古い舗装の上へ新しいアスファルトを敷いているのでなおさらボコボコになる。
それと、ティラワ経済特区では、牛車・馬車・ヤギが道路を闊歩し、こちらが気を使うが、田舎の体験だと思える人なら、ほのぼのとするだろう。
 通信手段も戸別の固定電話はいまだ少なく、1回幾らで貸してくれる街頭電話が広く利用されている。携帯電話は本体価格の高価さで庶民には高嶺の花であり、SIMカードは数種類あるものの、タイのように全てのカードがお金をチャージできるのではない。インターネットもさほど普及していない。場所によっては、WIFIが使えるのだが、速度が非常に遅く、この原稿を送信するのにもかなりの時間を要した。ネットカフェというものはほとんど無い。これは、固定電話並びにインターネット契約にかなりの料金と手間が掛かるからだ。
 現在、日本人の皆さんが「これからはミャンマーだ」と言われる理由の一つにティラワ経済特区があると思う。しかし、開発に取り掛かるのにはまだまだ時間がかかるようだ。首都をヤンゴンからネピドーに移したことによりヤンゴン並びに近郊の建設関係の人間が全てネピドーに集結させられたのが理由のひとつ。今はネピドーでの造成だけは終わったようで、ティラワ周辺に少し大型の建設機械が集まってきた。だが、運転するオペレーターがいないので作業が進まない。それと、2013年に開催される「シーゲーム」の会場設立などでヤンゴンにはさらに建設関係者がいない。「ネピドーがあるからティラワはまだ先。多分開発は2014年くらいじゃないの?」と知り合いのミャンマー人も言っていた。話を聞くとシーゲームも長期間にわたるようで開発も期限内に終了するとは思えない。この2点がティラワ開発の大きなネックになっているのだろう。 
 大体の現状を説明しましたがおわかりいただけただろうか。
現状のミャンマーでは、電気不足による工場の生産管理の不安定、食材の保管、通信速度の遅さによる国外との連絡の不十分。道路の不整備、公営交通機関の不備などが大きなネックになるため、ミャンマー進出を考えている方はもう少し様子を見たほうが良いのではないかと思う。
 自分で事業を起こすのは時期尚早。ヤンゴン在住の日本人も約700人程度しかいないため、ビジネスの展開にも支障をきたす。工場建設を視野にいれている企業は、土地の安い今の時期に視察などをされたほうが良いように思うが、個人事業主レベルでの展開では進出してから大きなリスクを伴うだろう。2014年以降には、ある程度インフラも整備されているのではないのだろうか。 (駐在員・S)

047b

 今回のリポートは、ミャンマーへの進出を考えている方に断念を促すものではない。既に10年以上も前にミャンマーに拠点を構築し、成功を収めている日系企業もある。ただ、現在のミャンマー過熱ぶりは、他の企業が先に行ったから、あるいは誰それが酒の席で『これからはミャンマーですよ』と口走ったことで盲目的にミャンマーに活路を求めようとしている事例があまりにも多いからなのだ。加えて無知で無責任なメディアの煽りにも問題がある。群集心理の典型例といってもよいだろう。
 これまでに進出して成功している日系企業は、やみくもに行動を起こしたのではなく、自社でリスクマネイジメントを行う力を培い、現地で様々な問題に遭遇し、それを乗り越えて現在まで継続して製造拠点として育て上げてきた。その点が重要なのである。現在のミャンマーへの進出にあたって、自社の事業がどこまで政治リスクに影響されるかという見極めと割り切りを持って臨んでいる企業や事業者がどれ位いるのだろうか。
 ミャンマーはインフラ面で大きな遅れを取っているのは厳然たる事実である。しっかりと諸条件が整っていないと、どうしても現地のマイナス面ばかりに目を向けてしまいがちになる。それは今回のリポートからも伝わってくるし、進出は条件や環境が整ってからがいいですよ、という結論を導いている。しかし、投資環境が整うまで待って時間を費やした後では、フロンティア・マーケットとしての魅力は消え失せているかもしれない。だから今なのだ、という声も正論ではある。ところが、正論で分析できないのがビジネスである。ミャンマーは以前の軍事専制国家ではない。民主化も後戻りする可能性は少ないだろう。しかし、現在もミャンマー国家は不確定要素が満ち溢れている。その政治的リスクを覚悟した上での進出ができるかということなのだ。日本が冷え込んでいるから、バンコクでの競争が厳しいから、という場当たりな理由付けは如何なものだろうか。ミャンマーでの事業展開でやってはならない事は何か、ミャンマー人の能力を引き出すにはどうしたら良いか、商習慣はどうなのか、最低でもそれ位は理解してから行動に移すべきではないのだろうか。初めてタイに来た日本人が、タイに棲んでいる日本人に騙される。それは無知と無防備が原因なのである。同じ事をミャンマーで繰り返さないためにも、ブームにつられず、よく考えて頂きたいのである。先日、ある日系企業の技術者が私に漏らした。「工作用の精密機械をミャンマーに送ったら、半数が消えてなくなっていましてね、数日後、市内を散歩していたら、街の屋台に何か見慣れたものが並べて売られている。よく見たら私の会社が送った機械の部品でした。使い道も解らないのに分解して売っているんですね」 これもミャンマーの実態の一部分なのである。(根岸)