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地上最大の動物兵器・戦象

053

巨体に隠された真の実力とは? タイに消えた戦象の歴史

 古代より近代まで、幾度となく人類の戦いの場に投入されながらも、資料不足のために現在のメディアには全く取り上げられることのない「戦象」を今回は検証してみる。
 タイ王国が「シャム」と呼ばれていた頃、ラマ三世治下のタイは極東最高の戦象保有国だった。当時のタイ陸軍にはおよそ800頭の戦象がおり、半数が戦闘用、半数が物資や兵員輸送用に使われていた。戦闘用の内、特別に訓練された百頭は砲兵隊として背中に軽野砲を積み、機動戦に用いられたとされる。後に1893年7月29日付けのフランスの時事誌に掲載された右上の図は、年号からフランス軍がチャオプラヤ沿いにタイ領土へ侵入した「パクナーム事件」と思われ、象の背に砲を積んで進軍する様子が描かれている。
 象は非常に優れた知能を持ち、群れを作って生活しているため、社会性も高度に発達している。なかでもアジア象は温和な性格で、人にもよく慣れるので家畜化されていた。反面、象は非常に警戒心が強く、敵に対する闘争心と主人に対する従順さを持ち合わせている。また、許されるまで糞や尿をしないという忍耐強さもある。さらに、運動能力が高く、「象はノロマで鈍い」というイメージとは裏腹に、時速40㎞のスピードで走る。人間の顔の違いや言語の違いもかなり細かく識別する能力があり、これらの性質が戦象として徴用するための条件に当てはまったといえる。象が突進してくるだけでも相当な威圧効果があり、体を押し当てたりするだけでも、建物を破壊し、人間を殺傷してしまう戦闘力は、陸上で最大最強の動物といわれる所以である。
 戦象が初めて登場したのは紀元前四世紀のインドで、その後、ペルシャ帝国に伝わり、東南アジアのビルマやタイに伝来したとされる。象を戦闘単位として活用するノウハウはこの頃すでに確立されており、一直線に並んだ象部隊が進撃し、敵の戦列を打ち砕く組織破壊力は強烈だった。現代の戦車ののように、拠点制圧に欠かせない存在だったようである。その上、象は倒れた人間を踏む習性があり、敵兵は伏せることもできず走って逃げるしかなく、熟練の重装歩兵の戦列でも戦象を押しとどめるのは至難であり、実際に戦象に遭遇した敵の部隊は接近しただけで潰走することさえあったという。戦象を倒すことは困難なため、追い払う戦術を選ぶようになり、厄介な戦象との戦いを避け、歩兵部隊を崩壊させて戦象を孤立させる手段が取られた。
 しかし、戦象には圧倒的な突進力で敵を破砕するが、戦術的な融通性は皆無に等しいという致命的な欠点を抱えていた。象使いが死亡した場合はとたんに凶暴化し、周囲のものを見境なく蹴散らして味方に甚大な被害を及ぼす例も少なからずあり、自軍が劣勢になった場合は厄介な存在となった。また、他の兵科と共同して戦うことができず、象部隊単独での突撃が常で、戦術的な自由度を極端に狭める結果となっていた。
 近世になり火器が進歩していくと戦象の威力は減じていった。象の巨体が格好の目標となるデメリットが現れたのである。また、王族や将軍が味方を鼓舞する司令塔として戦象に乗った場合は、軍が象と運命を共にしなければならないという厄介な条件が加わった。勝てば戦象が勝利をもたらしたと信じて勇気づけられるが、戦象が倒された時は、味方の軍も崩壊するのだ。戦象は兵器ではなく、戦場の生き神として祭り上げられる事で、ますます短所が目立ってきたのである。
 二十世紀には戦闘目的ではなく、偵察・哨戒や使役の目的で使われるようになり、タイ陸軍でも密林地帯のパトロールに使われた一部の象を除いて、戦象は歴史から消滅した。
 しかし、一世を風靡した戦象の威圧力は軍の伝統と格式の象徴的存在として、現在もタイ政府では「象省」が消えずに残り、祭典やパレードにその雄姿を国民や観光客に披露し、楽しませている。    (写成)