歴代 TOP紙面

No.159|2017年08月01日号

No.158|2017年07月15日号

No.157|2017年07月01日号

No.156|2017年06月15日号

No.155|2017年06月01日号

No.154|2017年05月15日号

No.153|2017年05月01日号

No.152|2017年04月15日号

No.151|2017年04月01日号

No.150|2017年03月15日号

No.149|2017年03月01日号

No.148|2017年02月15日号

No.147|2017年02月01日号

No.146|2017年01月15日号

No.145|2017年01月01日号

No.144|2016年12月15日号

No.143|2016年12月01日号

No.142|2016年11月15日号

No.141|2016年11月01日号

No.140|2016年10月15日号

No.139|2016年10月01日号

No.138|2016年09月15日号

No.137|2016年09月01日号

No.136|2016年08月15日号

No.135|2016年08月01日号

No.134|2016年07月15日号

No.105|2015年05月01日号

No.104|2015年04月15日号

No.103|2015年04月01日号

No.102|2015年03月15日号

No.101|2015年03月01日号

No.100|2015年02月15日号

No.099|2015年02月01日号

No.098|2015年01月15日号

No.097|2015年01月01日号

No.096|2014年12月15日号

No.095|2014年12月01日号

No.094|2014年11月15日号

No.093|2014年11月01日号

No.092|2014年10月15日号

No.091|2014年10月01日号

No.090|2014年09月15日号

No.089|2014年09月01日号

No.088|2014年08月15日号

No.087|2014年08月01日号

No.086|2014年07月15日号

No.085|2014年07月01日号

No.084|2014年06月15日号

No.083|2014年06月01日号

No.082|2014年05月15日号

No.081|2014年05月01日号

No.080|2014年04月15日号

No.079|2014年04月01日号

No.078|2014年03月15日号

No.077|2014年03月01日号

No.076|2014年02月15日号

No.075|2014年02月01日号

No.073|2014年01月01日号

No.074|2014年01月15日号

No.072|2013年12月15日号

No.071|2013年12月01日号

No.070|2013年11月15日号

No.069|2013年11月01日号

No.068|2013年10月15日号

No.067|2013年10月01日号

No.066|2013年09月15日号

No.065|2013年09月01日号

No.064|2013年08月15日号

No.063|2013年08月01日号

No.062|2013年07月15日号

No.061|2013年07月01日号

No.060|2013年06月15日号

No.059|2013年06月01日号

No.058|2013年05月15日号

No.057|2013年05月01日号

No.056|2013年04月15日号

No.055|2013年04月01日号

No.054|2013年03月15日号

No.053|2013年03月01日号

No.052|2013年02月15日号

No.051|2013年02月01日号

No.050|2013年01月15日号

No.049|2013年01月01日号

No.048|2012年12月15日号

No.047|2012年12月01日号

No.046|2012年11月15日号

No.045|2012年11月01日号

No.044|2012年10月15日号

No.043|2012年10月01日号

No.042|2012年09月15日号

No.041|2012年09月01日号

No.040|2012年08月15日号

No.039|2012年08月01日号

No.038|2012年07月15日号

No.037|2012年07月01日号

No.036|2012年06月15日号

No.035|2012年06月01日号

No.034|2012年05月15日号

No.033|2012年05月01日号

No.032|2012年04月15日号

No.031|2012年04月01日号

No.030|2012年03月15日号

No.029|2012年03月01日号

No.028|2012年02月15日号

No.027|2012年02月01日号

No.026|2012年01月15日号

No.025|2012年01月01日号

No.024|2011年12月15日号

No.023|2011年12月01日号

No.022|2011年11月15日号

No.021|2011年11月01日号

No.020|2011年10月16日号

No.019|2011年10月01日号

No.018|2011年09月15日号

No.017|2011年09月01日号

No.016|2011年08月15日号

No.015|2011年08月01日号

No.014|2011年07月15日号

No.013|2011年07月01日号

No.012|2011年06月15日号

No.011|2011年06月01日号

No.010|2011年05月15日号

No.009|2011年05月01日号

No.008|2011年04月15日号

No.007|2011年04月01日号

No.006|2011年03月15日号

No.005|2011年03月01日号

No.004|2011年02月15日号

No.003|2011年02月01日号

No.002|2011年01月15日号

No.001|2011年01月01日号

「戦場にかける橋」の真実

056

観光スポットに隠された欺瞞 現地労働者の死者10万人

 歴史は戦勝国によって改竄され作り変えられる。戦後の日本人が正しい歴史認識を持たされていないのは、占領政策による洗脳教育や、歪められた情報・文献で真実を知らしめていない事が原因ではないだろうか。ただ、私は右翼でも国粋主義者でもない。純粋な一人の日本人として、誤りを正したいだけである。
 戦争映画には数多くの名作が残されているが、アカデミー賞受賞作のなかで日本軍が登場する映画は「戦場にかける橋」と「ラスト・エンペラー」の二作だけである。後者に関連する映画やドラマは数多く制作されているが、「戦場にかける橋」の舞台となった泰麺鉄道については数点の書籍が存在する程度で、情報は非常に少なく、映画の内容も史実と信じられているが、現実の歴史とは大きな違いが存在している。
 バンコクから約130㎞、タイで3番目に大きな県「カンチャナブリー」は山と渓谷美あふれる風景明媚な自然の宝庫として知られ、観光の名所である。この地に当時の日本軍が築いた「泰緬(たいめん)鉄道」という呼称は、中国語の泰(タイ)と、緬甸(メンデン=現ミャンマー)の合成語からきている。鉄道の施設に5年もかかるといわれていた難工事を行わざるを得なかったのは、シンガポールからタイを通過してビルマの日本軍に軍需物資を補給するラインを確実なものにする必要があったためだった。この頃、ミッドウェー海戦で日本は大敗を喫しており、東南アジア覇権のためにも鉄道建設は急を要していた。結果的に5年と見込まれていた工期を15ヵ月で完遂したが、建設を急ぐあまりに多数の犠牲者を出すこととなった。映画「戦場にかける橋」の中でも、工事に狩りだされた連合国の捕虜たちへの非人道的な虐待や強制労働がクローズアップされている。それは史実であり正しい。しかし重要なのは、実際に誰が鉄道の建設に従事し、誰が犠牲になったかという点である。
 使役された連合軍捕虜は6万5千人。そのうち死者は20%の1万3千人という説が通っている。日本側も建設に従事した1万人の将兵のうち、千人以上が命を落としている。この比率は無視できない。虐待以外に命を落とす脅威が存在していたという事になる。
 鉄道建設には沿線のカレン族を含むタイ人だけでなく、ミャンマー人、マレーやインドネシアからも徴用や募集で数多くの労働者が投入されていた。南国の密林で衛生観念を求めても無理というものである。現地人労働者の一人から発生したコレラは、瞬く間に全作業場に広がり、労働者も捕虜も日本兵も多くの人が命を落とした。さらに、普通はマラリアだけで死ぬことは少ないが、現地のマラリアは世界でも珍しい悪性のもので、高熱で心臓が急停止してしまう特徴があった。切り開いて行くジャングルには毒蛇も多く、血清も無い現場では処置する術がなかった。
 最近になって見つかった記録では、鉄道建設にたずさわったアジア人の現地労働者の死者数は10万人。『枕木一本死者一人』といわれるほど、最も多く現場に導入され、最も多く犠牲をはらったのは、外国同士の戦争に巻き込まれた彼らだったのである。このように、労働者や連合軍捕虜にとって日本軍が行ったとされる虐待以上に深刻だったのは伝染病の蔓延だったのが裏付けられる。
 「戦場にかける橋」では、この現地労働者については全く触れられていない。あくまでも連合国側の視点で、日本に対する強い敵対感情色が強い。他にも、クワイ河の捕虜収容所をテーマにしたイギリス兵の記録とされる文献においては、皮膚がただれる熱帯性潰瘍(ブルリ潰瘍)に罹った捕虜のイラストを掲げ、日本兵の拷問の跡だと主張しているのである。
 戦争という異常事態にあって、人間の狂気を垣間見ることは多々ある。泰麺鉄道の建設においても捕虜の過酷な労働はあった。どんな形であれ、多数の死者を出した。しかし、捕虜となっている者の存在を知っていながらクワイ川鉄橋を爆撃し、その際に命を落とした連合国軍将兵の数百人について、人道的であるはずの連合国軍側の資料には記載されていない。もし、映画がこの件に言及してもアカデミー賞を受ける事ができたのだろうか。 (写成)