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プミポン国王を偲んで

仁徳と慈愛の人。自ら奨めた「足るを知る生活」

 プミポン国王が逝去されて1ヶ月、命あるものはいつかは必ず失われると解っているものの、この方はまだまだご存命であって欲しかった。悲しさがつのるばかりである。タイ国に住む外国人の一人である私だが、他国の人の死がこれほど悲しいのは初めてだ。

 15年ほど前、私がタイ国に来た時、大通りや商店などのいたる所に掲げられている写真や肖像画から王様の存在を知った。何も予備知識を持たずに来たこともあって、「この人の独裁国家か?」と正直、感じた。しかし、それは大きな間違いであることがやがて判った。タイ国民から絶大な敬愛を受ける王様には、それだけの理由があったのだ。プミポン国王は実兄にあたるラマ8世の不幸な事故による急逝によって即位されたが、当時は多くの国民から決して華々しく尊敬を集める状況ではなかった。しかし、プミポン国王は精力的に自らの足でタイ全土を視察して回り、農村の老婆の手を取って優しくねぎらった。公務を王妃に代行してもらい、自ら一般のタイ人男性と同じように仏門に入って修行された。そういった行いや人柄によって国民の支持を集めて、歴来の王の中でも最大の尊敬を集める国王へとなったのである。国民の絶大なる尊敬の念はラマ王家ではなく、プミポン国王個人に対するものだといってもよいのだろう。

 プミポン国王は、多くの政治的重要局面で非凡な政治手腕を発揮し、国民を平和に導いた。青年将校団によるクーデターを防ぎ、2003年にはカンボジアのタイ大使館が焼き討ちされたことに激怒し暴徒化したタイ国民に「悪者の言葉に耳を貸すべきではない、冷静になりなさい」との一言で沈静し事態が収拾した。折しもこの時、私はビザランでカンボジア行きのバスに乗っており、国王の言葉で命拾いしたのである。

 2006年には、野党が違憲のまま強行した下院総選挙を「民主主義的ではない」と意向を示し、憲法裁判所が再選挙を命じることになった。政治を私物化し利権を貪るタクシン首相を呼び寄せ、「やりすぎではないのか」と苦言を呈し、政権の健常化を促した。現在に至るクーデターやデモの混乱において、常に国王の最終判断を仰ぐこととなったのは、まさにプミポン国王の適切な政局判断にある。特に、タイの天安門事件とよばれる「暗黒の5月事件」では、軍政の独裁に対するデモで丸腰の一般市民に対して兵士が無差別に発砲する最悪の事態が起きた。政治的発言を控えていたプミポン国王だったが、あらかじめTV局に全国中継を命じたうえで、軍とデモ隊の両指導者を呼び寄せて目の前に鎮座させ、「この様な状況が国民のためになると思うか?双方ともいい加減にせよ」と叱責し、一夜にして虐殺の大惨事が収拾したのだった。

 この指導力とカリスマ性は、北朝鮮にみる暴圧と独裁とは全く異なる。天と地以上の開きがある。プミポン国王の仁徳、それに尽きるのだ。世界を見渡しても、ここまで強い信念を持つ国王を目にすることはもう二度とないと思うのである。

 タイ国民ではない私が尊敬するのは、プミポン国王の政治手腕やカリスマ性ではない。それはタイ国自身の範疇に過ぎない。前号の写真特集は、500葉以上ある画像から選ばせて頂いたのだが、その多くは国王のプライベート写真である。氷上スポーツ、絵画、音楽、木工、どれをとっても趣味の領域を超えた水準にある。自ら楽曲を作り演奏し、CDも刊行されている。決して素人のなせる技ではない。多くの写真を改めて見る度に『人生は一度だけ。多くを学び楽しもう!』と国王が言っている気がするのである。

 歯磨きのチューブを最後まで押し出して使い、鉛筆や絵画用のクレパスも指に待てないほど短くなるまで捨てなかった。時計はローレックスのような高級品ではなく、セイコー社の、歩く振動で充電する普通の腕時計だった。地方を巡って、すり減った靴を修理して何度も使われた。日本製のカメラや車を使って下さった。また、日本の皇室を丁重に迎えて下さった。今こうして私たち日本人がタイ国に在るのは、正に人徳と慈愛の人・プミポン国王のおかげだと私は思う。(根岸)