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沈みゆく韓国・朴槿恵の実像

日本が何度助けてもダメ!パククネ大統領は深窓の令嬢!

 昨年の夏、韓国最大の海運会社である韓進海運の財政破綻が表面化し、世界中の港が荷卸し費用を払えない同社のコンテナ船の入港を拒否したため、70隻を超える韓進海運籍の船が「漂流」した事件があった。約一兆二百億円相当の積み荷が海上でさまようことになったのだが、日本が最初に手を差し伸べて、混乱がないことが実証されたので、概ね各国で港が引き受けるようになった。事態が収拾されたのは今回も日本のおかげだったが、相変わらず韓国でも、日本のマスコミも報道していない。日本に救ってもらった韓国・韓進海運だが、今年の2月初旬にして、ついに破産手続きを行うことになった。

 韓進海運の破産による失業者は、最大1万人を超えると推定されるなか、「従業員に何の罪があるのか」「上層部の経営責任が大きい」といった、従業員への同情もあるが、「国民の税金を投入して支援した結果が破産か」、「無能な政府のせいだ」と政府を批判する声が多い。40年の歴史がある韓国最大、世界7位の海運会社は、次のように滅びの道を歩んだ。

▼第一段階=日本の同業他社が「あれほどの低価格でよく商売ができるものだ」不思議がっていたほど、ダンピングで10年以上も赤字を垂れ流し、それでも政府補助金で黒字にして支えた会社が傾くなか、会長(ナッツ姫の父の弟)が亡くなり、韓国で顕著な同族経営により、
専業主婦の妻が会長職を継ぐ。
▼第二段階→ずぶの素人に経営はできず、負債が膨らむ。
▼第三段階→たまらずナッツ姫の父、チョ・ヤンホが素人会長に就くが全く業績上がらず。
▼第四段階→債権団の管理下に置かれるが、再建の提案を無視して赤字営業を続け、更に世界中の港湾で代金を滞納する。
▼第五段階→世界中の港で村八分にされ、船の乗組員も逃げ出すが、日本に助けられる。
▼第六段階→もう助ける金がない韓国政府が見放す。
▼最終段階→会社の清算決定。

 技術も企業倫理もない韓国の製造業は、強烈な低価格攻勢だけで日本と対抗してきた。その結果がサムソンの爆発スマホと爆発炎上洗濯機に象徴される。しかし、最も致命的となるのが、第二段階での「ずぶの素人が責任者」である。韓進海運の破綻と、今の韓国が国家として沈みゆく構図の双方に等しいのがこの部分なのだ。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領が政権を追われた主因は、父が新興宗教家で、自身も祈祷師である崔順実(チェ・スンシル)氏とのただならぬ関係にあるのだが、パククネは就任以来、公式の場には出たがらなかった。最初の記者会見は就任からなんと1年後であり、ようやく出てきたのはいいが、事前に全ての質問を提出させておき、それに基づいた返答原稿を「棒読み」していた。つまり、シナリオにないトークはできず、記者会見にのぞむ能力がないことが露呈したのである。中国の軍事パレードに喜々として参加したのも、崔順実の風水占いによるもので、国際的にどんな重い意味を持つかも解っていなかった。日米の同盟国であるなら絶対に参加してはならなかったのだ。産経新聞の加藤記者が出国禁止措置で約8か月も日本に帰国できなかった時、「あの記者はまだ韓国にいるのか」と驚いたり、セウォル号沈没事故の時も、「生徒たちはライフジャケットを着ていたそうだが、そんなに発見が難しいのか?」と的外れな質問をして職員を唖然とさせた。側近のある女性は、「書斎の書棚に並ぶ本は全部もらいものでジャンルはバラバラ。しかも読んだ形跡は全くありませんでした」と語る。また、ある記念式典で出てきたサンドウィッチを手に取っては食べず、側近が箸を持ってくるまで手をつけなかった。日常感から遊離しており、決して頭脳明晰な最高権力者ではなく、単なる「お姫さん」なのである。突然の質問に対応することはおろか、他国の首脳との直接対決はとてもじゃないが耐えられないのだ。「ずぶの素人」が取り返しのつかない事態を招いた韓国は更に沈んでいく。