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金正男 殺害事件の裏側

たなボタの最高指導者!「禁じ手」も厭わない金正恩

 拉致のみならず、麻薬密売や偽札製造、人身売買、中東への武器輸出、度重なる核実験など、次々と国ぐるみで違法行為を行っている北朝鮮。まさに悪の博覧会の単一開催国ともいえ、金日成-金正日-金正恩と代を重ねるごとに、悪辣さを極めた恐怖政治はエスカレートしている。折しも、米国トランプ大統領と日本の安倍総理の首脳会談を受けて、北朝鮮が再びミサイル発射実験を行った翌日の2月13日、金正日の長男、第3代最高指導者金正恩の異母兄である金正男が、マレーシア国際空港内で殺害された。実行犯のひとりが話しかけ、もうひとりが犯行に及んだ。監視カメラの映像を見ると、この間2秒である。マスコミによれば、北朝鮮の工作員による犯行ではないかと憶測されるが、現場以外にも数々の証拠を残しているところから、実行犯はプロではない。どこの国でも工作員はこんな稚拙な殺し方はしないものだ。ましてや、国際的事件において「裏取り」し易いマレーシアを殺害現場に選ぶのは極めて不自然である。マスコミは「犯人探し」に躍起になっているが、金正男はなぜ殺されたのか、そこが重要なのである。

 まず、北朝鮮の初代指導者の故・金日成の時代には、現在の第3代となる金正恩の名前は家系図のどこにも記されていなかった。本来ならば「いない人間」だったのである。それなのになぜ、金正恩は今の権力を手にしたか。北朝鮮の「将軍様」は世襲制である。親から子、孫へと引き継がれるには、「白頭の血統」といわれる出身成分が厳然とあり、その基準からすれば、北朝鮮の将軍様ファミリーには、親日派や在日朝鮮人帰国者は入り込む余地がない。しかし、金正恩の実母である髙英姫は在日朝鮮人の帰国者だった。そしてその父(金正恩の実祖父)高京澤は、旧日本軍に協力していた「親日派」だった。 白頭の血統を重んじる北朝鮮独自の身分制度「出身成分」の基準からすれば、金正恩が権力の座に就くなどあり得ないことだったのである。

 第2代最高指導者の故・金正日には3人の男の子供がいた。長男の金正男、二男の金正哲、そして三男の金正恩だ。 金正男の母親・成恵琳は、北朝鮮映画界の最高の女優だったが、既婚者であり、韓国出身だった。それを金正日が不倫の末に略奪婚をし、金正男が生まれた。 既に金正日の正妻は他にいたが、女の子ばかりを出産していたため、金正男の母・成恵琳は正妻の座も獲得できそうだった。しかし、そこに他の女性が現れた。それが金正哲と金正恩の母親となる髙英姫だったのだ。 金正日の寵愛先が髙英姫に移ったことで、成恵琳は重度のうつ病になり、長期療養の甲斐なく2002年に死亡。血統の上では次期「将軍様」となるべく大人に成長した金正男は、2001年に成田空港で入国管理局に拘束されるという失態を犯した。いわゆる「金正男ディズニーランド事件」だ。

失態に加え、実母という後ろ盾を失ったことで、金正男は後継者レースから外れたのだった。

 金正男が後継者から降ろされたたことで、本来ならば「白頭の血統」から外れているとはいえ、異母兄弟である次男の金正哲を次の指導者とせざるを得なくなった。ところが彼は、ドイツ旅行をしていた際に日本のメディアによってその動向を捕捉されるという、許し難い大失態を犯す。さらに、「女性ホルモン分泌過多症」という、胸が女性のように大きくなる持病があった。威厳ある将軍様として失格である。かくして、父の金正日は苦渋の決断により、失態を犯さなかった金正恩を次期指導者と定めた。

 「たなぼた」式に最高指導者の座を得た金正恩だったが、生年月日は明らかにされず、世界中が北朝鮮の新しい指導者の年齢も知らなかった。初代・金日成と2代・金正日の「生誕記念日」には国民総出で大々的に祝うのに、金正恩に関しては体制発足から5年間、一度も生誕記念祭が行われていない。これは、指導者を神の如く敬う北朝鮮にあって、異例というよりも考えられない事である。無理もない。誕生日を祝おうものなら、絶対に隠し通さなければならない「国家の秘密」が陽の元に晒されてしまうからである。