Vol32

 タイの年中行事「ソンクラーン」。今では水掛け祭りならぬ水撒きゲームに成り下がった感がある。水をかけられても怒らない、という暗黙の了解があるらしいが、ソイを歩いている知らない人にかけるのはまだ良いとして、ネクタイをしめて革靴を履いているビジネスマンにもかける。市バスの乗客へ窓越しにかける。ピックアップトラックの荷台に乗ってあたりかまわずかける。タイの文化・習慣だったら仕方がないとは思う。しかし、水に塩酸を混ぜて子供にかけたり、バイクで走行中に突然水を掛けられ転倒して文句を言ったらピストルで撃ち殺す。水をいきなり掛けられて注意した外国人をその場でよってたかって殴り殺す。水かけピックアップトラックから転落して後続車に轢かれ、相手を仲間が殴り殺す、といった毎年の事件にタイ人の側面が垣間見えてしまう。欧米のダンス音楽を大音響で鳴らし踊り騒ぐ。これが伝統ある宗教行事の姿なのだろうか。人の迷惑を考えない。楽しいのが一番。自分さえよければいいというマイペンライ精神が露骨に表面化するソンクラーンに辟易してしまうのだ。例年の期間中における死者数百人、ケガ人数千人という数は、人に迷惑をかけても祭りだから許されるという身勝手が辿りついた結果である。良識あるタイ人はバンコクやチェンマイから避難する。あるいは家に引き籠る。他人が死んだり怪我をすることの重大さをわかっていない者たちから逃れる。この国は人命が軽い。あまりにも些細なことで人が死に、人を殺す。そして逃げる。「タイには新年が3回(西暦新年、中国新年、タイ新年=ソンクラーン)あるから楽しいよ!」とうそぶくタイ人。スタートラインは1本だけという感覚を持たないのは勝手だが、騒ぎたいだけなんだろう、と心で呟く。良い伝統は残すべきだが、そこから大きく外れた祭りにはなんの魅力も感じないのだ。それも私の勝手な思いなのだから、誰からとやかく言われようもないのだが。