Vol,46-(No.94)

 一緒に歩いていた友人がふと空を見上げて「秋ですねぇ…」と呟いた。騒音と排気ガスのスクムビット通りで何があったのか。曰く、空の色の青さに日本の秋を想ったらしい。11月も中旬となれば、まさに秋深まる候。紅葉はますます色濃く、沈みかかった三日月に柿の木がシルエットで浮かぶ。そこにお寺の晩鐘が聞こえれば風情も完璧といえる日本の秋である。『風情=ふぜい』とは、日本の古来から存在する美意識の1つである。長い時間を経て大自然によりもたらされる物体の劣化や、日本の四季が造り出す儚いもの、質素なもの、空虚なものの中にある美しさや趣や情緒を見つけ、心で感じるということ。またそれを感じ、心を平常に、時には揺さぶらせ豊かにするということ。日本人独特の美的感覚は『風情』という言葉に集約される。
 然しながら、海外に住んでいて、特にタイや東南アジア諸国、南半球の国で「風情」の趣きに出会う事は稀である。大自然からもたらされるものへの感じ方は個々人の生い立ちや教養や感受性の問題でもあり、気候の変化の少ない場所では節目に乏しく一年を何となく漫然と過ごしてしまうのだ。折しも晴天となったバンコクの空を見て、日本の秋を感じ取った彼女は決して『タイ化』していない。身体はタイにあっても心は日本の空にあった。日本人女性の情感をたたえた視点で「秋ですねぇ…」と呟いたことに私は少なからず衝撃を覚えつつ、心が震えた。これこそ日本人のデリカシーなのだと、果して今の自分がこの美意識を保っているのだろうかと思った。家に帰り、竹久夢二の詩画を久しぶりに開いた。
 【宵待草】の原詩を読んだ。
-想ふまいとは思へども我としもなきため涙、今宵は月も出ぬさうな-初夏から咲き始めるという宵待草。実は霜が降りる晩秋にかけて長い期間に咲く。今も日本のあちらこちらで小さく黄色い風情の花を咲かせているのだろう。