Vol,54-(No.102)

 卒業式のシーズンである。
人生で何度か訪れる節目のひとつにあって、日本人のメンタリティに特に強く訴えかけてくるのが卒業式。「仰げば尊し」を歌うと、いつも厳しかった先生が泣いた。同級生の女生徒たちも泣いた。悪友の目にも光るものがあった。 
 すくすくと成長した子供たちが学び舎から巣立っていく。そして、卒業と同時に新しい社会(進学)での生活が始まる。卒業とはゴールであり、新しいスタートでもあるのだ。その門出に「仰げば尊し」を歌わなくなった学校が増えたという。歌詞が古く意味が分かりにくいとか、教員は一種のサービス業なので『我が師の恩』とは押し付けがましいとか、2番の歌詞の『身を立て名をあげ』が、立身出世を煽り民主主義に反するとか…。
 私は子どもの頃に親からこう言われた。-「国歌を歌う時には国に、校歌を歌う時には学校に、『仰げば尊し』を歌う時にはお世話になった先生に感謝の気持ちを込めて、しっかり歌いなさい」- そして私は、育ててくれた両親にも感謝して立派な大人になろうと思った。

 「身を立て名をあげ やよ励めよ」

 意味が難しくて解らないので歌わないとか、戦争が関係しているから歌わないとか、間違えている。難解なものを教えるのが教育であり、係り結びの法則も知らず「今こそ別れめ」を「別れ目」などと信じ込んでいるほうが問題だ。それよりも、教えを受けた先生に感謝の意を表すのは自然の理ではないだろうか。「仰げば尊し」の歌詞には、恩師や両親への感謝だけでなく、 共に学校生活を送った仲間たちへの惜別の気持ちと明日の希望が込められている。そこには教育の原点が展開されている。また、努力を重ねて立身出世して欲しいと願う親の愛。それに応える子供たちの自立の歌なのである。最近の卒業式では、J-POPの曲を歌うこともあるらしいが、そんなものがこの先10年も20年も歌い継がれるだろうか。格調高い文語体の誌文で綴られた日本の名歌「仰げば尊し」の感動を私は今でも忘れていない。