Vol,57-(No.105)

 先日、日本へ一時帰国してきた。13年ぶりの里帰りである。会社勤めの頃に仕事に忙殺されて帰国が叶わず、親の死に目にも逢えなかった。痛恨の想いを今までずっと胸に抱き、外国(タイ)に住む日本人としてのアイデンティティに葛藤してきたのだった。
 久方ぶりの日本の地。今はストリートビューを使えば郷里の様子を知ることができて、同級生の家が改築したとか、橋を新しく塗り直したとか色々と判るので、ある程度の変わり様は心得ていた。しかし、空港に降り立った瞬間、日本の文化が他の国とは全く違うことを五感の全てで感じた。管理が行き届いた施設、きびきびと動きながらも親切な職員、電源コンセントの位置。「絶妙」とはこの事であると感動すら覚えた。街へ向かえば、時刻通りに来る電車。礼儀正しく行き交う人々。回転すしやラーメン屋、コンビニ、どの店に入っても、対応のレベルの高さと気配りの点において、文句のつけようがなかった。さらには、多様な自動販売機、信号機の音色、タクシーのドア開閉に、日本人の類いまれな配慮と気配り、利便性の追求に改めて感嘆した。
 色んな海外に行って今はタイに落ち着き、自分が日本人であることをどんどん忘れかけていたのだと思った。少数民族である日本人が世界のステージに立った時、類い稀な文化と他国が入れない領域を日本人は持っているのだと決して忘れてはならないのだ。広く括れば道徳大義である。タイに来て「日本は堅苦しくて」とか「閉塞感がハンパない」と言う日本人が多い。なにを贅沢なこと言っているんだ。ちょっと踏み出せばすごく明るい世界が日本には広がっているじゃないか。水は低いほうへ流れるが、人は低い方へ流れるとダメになる。外に出て日本の街をよく見るがいい。日本のスピリットが入ってこそ、海外に出た時に日本人であるぞ、と胸を張って凛とした姿を輝かせていかないとダメじゃないか。
 日本は優しい。駐車場にさえ『前向きに』と書いてあって自分を励ましてくれるではないか。それを話したら友人に笑われた。